1983年のレース終了後に、チーム体制が変わりました。従来のマツダオート東京(マツダ車の販売会社)から、メーカーが新設したモータースポーツ専門会社「マツダスピード」に移ったのです。 グループC2(グループCジュニアから改称された)2年目の1984年、翌年の1985年とも完走はしましたが、このレベルでは私たちは満足できなくなってきました。 . |
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1986年にはマツダの開発陣に強く要望して、レース専用の3ローターエンジン、「13G」を開発してもらい、パワーユニットはこれまでの300馬力から450馬力となりました。 エンジンパワーがあがるとシャシー開発は、まったく違うレベルを要求されます。サンペンションや駆動系にかかるストレスは、単に1.5倍という掛け算では処理できないのです。 多くの期待を集めて参加した1986年の「マツダ757」は、予想外の駆動系トラブルで2台ともリタイヤ。トラブルは、エンジンとトランスミッションをつなぐインプットシャフトが折れるというものでした。 2台とも同じ症状です。ル・マン以後駆動系の専門スタッフ達が、コンピューターによる解析と走行実験の繰り返しでその問題を解決し、ほぼ86年と同じスペックのクルマながら、翌年の「マツダ757」は見事に総合7位に入賞することができました。 日本車として初めての10位以内入賞のニュースは日本では相当話題になり、国内における「ル・マン」の知名度もグンと上がったものです。 . |
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1988年は、私たちのチャレンジのステップがさらに一歩進歩しました。「総合優勝」の4文字を視野に入れるためには、3ローターエンジンよりさらにパワーが必要でした。 |
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1990年の「マツダ787」には、当時の最新のテクノロジーがふんだんに盛り込まれています。 シャシーは、最新の解析テクノロジーを使って各ステージにおけるストレスを計算し、シャシーレイアウトや素材、補強などを設計しました。また、タイヤ温度センサーやトルクセンサーなど計測、データ抽出にも予算を割き、新技術を投入しました。走行中の車両からデータを光通信や無線で取り込むテレメトリーシステムなどの高度な技術も使われました。また、運営面ではF1ドライバーを契約するなど、「勝つため」という意志を明確にし、全体のプロジェクトを動かしたのです。 レースには「マツダ767B」1台を含む3台を走らせましたが、結果は新車2台がリタイヤという結果に終わりました。またしても、「初めてのものを受け付けない」というジンクス通りになったわけです。エンジンにも多くの新メニューを導入し、エンジンパワーやトルク特性なども向上させました。 . . |
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翌1991年はマツダ787を更に熟成し、エンジンに改良を加えた「マツダ787B」を製作しました。 今度は実績ある技術の発展型なので、ひたすらテストを繰り返し、その検証を重ねて6月のレースを待ちました。ヨーロッパでのテストでは、4月に24時間シミュレーションも実施しました。また、チーム体制は前年とほぼ同じ布陣をとりました。レースでは、F1ドライバーコンビが乗った「カーナンバー55」がレース中にマイナーなものを含む一切のトラブルを発生させず、見事日本車として史上初の総合優勝を遂げることができました。この時、私が乗ったクルマは総合8位だったのですが、787Bの開発には最初からタッチしていたので、本当に感激しました。 特にレギュレーションの変更で、ロータリーエンジンでル・マンに出られるのはこの年が最後といわれていただけに、喜びもひとしおで、それまでの苦しかった毎日なんかすっかり忘れて勝利の美酒に酔ったものです。 この総合優勝の結果は、多くの記念碑を残しました。当時マツダの会長だった山本健一さんが、30年前にロータリーエンジンを開発したチームのリーダーだったこともあり、マツダの三次総合試験場(広島県)内に「飽くなき挑戦」と書いた記念碑が建てられました。 ル・マン市中心街に「マツダ787B」の名と優勝した3名のドライバーの手形を刻んだプレートが埋め込まれています。ル・マン博物館に寄贈されたクルマのレプリカは、今でも展示されています。 . |
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1992年は、レギュレーションの変更によってロータリーエンジンが使えなかったので、英国のエンジンビルダー、ジャッド社と共同でV型3500ccの10気筒エンジンを新開発し、シャシーもまったく新しい「MX−R01」を開発し、ル・マンに臨みました。 クルマは2台エントリーしました。前年の優勝車にのった3人のドライバーをそのまま契約したので、話題には事欠きませんでした。 レースは、スタートから雨だったのですが、フォルカー・バイドラーが乗ったMX−R01は、猛烈な勢いでトップのプジョーを捕らえ、約1時間の間レースをリードしました。ピットはもう興奮のるつぼという感じでしたね。このクルマの24時間目の結果は、4位。連勝はできませんでしたが、新開発のクルマにもかかわらず、この成績は立派です。 一方、私が乗ったクルマは、雨の中スピンしてしまい、夜中にリタイヤしてしまいました。ちょっと痛かったし、悔しい思いを味わいました。 |
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