それでは今回より各論に入ります。自動車を構成する様々なコンポーネントの仕様や性能が、ドライバーの感性にどのような影響を与えるか…という考察です。
講義の基本は従来からの自動車工学です。先ず、どのような仕様にすればどういう性能が得られるかという理屈をお話しします。実務的な細かいことは無視して、原理原則的な解説を心掛けたいと思います。いわば「自動車工学入門」です。そして、その上で、その結果がドライバーの感性に与える影響を、私なりの評価を加えて、考えたいと思います。それが、このゼミのテーマ「動的感性工学」だとご理解ください。
もちろん、自動車の動的感性性能は単一のコンポーネントの仕様で決まるのではなく、いろいろな要素が複合的に作用します。また、その評価も評価者の感性によって変わります。だから、そんなに簡単に、「このスペックが最善だ」などと言う事はできません。あくまでも「仕様や性能」と「ドライバーの感性」の間の関係を、概念として理解していただくのが狙いです。それによって、皆さんのチューニングの方向を決めるための、判断の参考に供したいと思うのです。
で、最初のテーマですが、皆さんの気分からすれば、ダンパーの減衰力とか、スプリングのバネ定数とか、もっと手っ取り早く、実際のチューニングに活用できる知識を期待されているかも知れません。大学の講義とは違いますから、教科書的(体系的)にカリキュラムを組む必要はありません。むしろ、アトランダムに、皆さんの興味のありそうなテーマを取り上げたいと、私も思います。ですが、メーカーの中で開発に携わった者 として、どうしても最初にお話ししておきたいことがあります。それは「パッケージング」についてです。
パッケージングで決まる動的感性性能
メーカーが車を開発する時には、商品企画部門で決められたコンセプトが開発部門に降りてきて、具体的な車両諸元がレイアウトされます。これが、パッケージングです。単にボディの大きさや形状だけでなく、例えば、人を車のどの位置にどの様な姿勢で座らせるかなどもここで決まります。並行して、エンジンの位置、駆動方式、トレッド、ホイールベースなどが決定されます。単純に言えば、まだこの世に誕生していない車の資質が、そのための基本的な設計図が、カタログに掲載される諸元表の原型が、この段階で決まるのです。
生物で言えば、パッケージングはDNA(遺伝子)に相当します。エンジンやサスペンションなどの設計、スタイリングなどのデザインも、このDNAによって方向づけられます。もちろん、それらのコンポーネントの出来栄えにはそれなりの幅はあり得ますが、それは生物の成長に例えれば、むしろ後天的な努力によって獲得されるものと考えた方がいいかも知れません。チューニングも然りです。語弊はありますが、少なくとも自動車に関しては、先天的な資質を根底から覆すことは不可能だと、私は思います。
ですから、自動車の動的感性性能を考える上で、自分の感性に合う車を選ぶ上で、一番大切なのはパッケージングです。そして、それを知るための手掛かりが、あの無表情に並んだ「諸元表」の数字の中に潜んでいるのです。各論の最初のテーマとして、その諸元表の中でも最も地味な「寸法・重量」を選んだのは、そういう理由です。以下、その見方について考えてみたいと思います。皆さんの愛車の資質を再確認して、今後のチューニングにお役立ていただければ幸いです。
寸法・重量の数字を「割り算の目」で見る
経理の専門家は会社の決算書から経営状態を読み取ります。経験的な知識があるからできることと言えばそれまでですが、使っている手法は多くの場合、簡単な割り算です。利益の絶対額ではなく、その前年比や売り上げに対する比率など、キモになる所を押えて割り算をしているようです。
同様に自動車技術者は、諸元表から動的感性性能を予測します。もちろん、重いか軽いか、大きいか小さいかも見るのですが、私たちも、やはりそれらの数字を割り算で評価しています。前回もお話ししましたが、物事を分析的に考える時には、このような「割り算の目」が役立つことが多いのです。
では、そのキモはどこか。例えば寸法なら、全長÷全幅です。より本質的には、ホイールベース÷トレッドです。4個のホイールの位置で決まる長方形の縦横比ですから、ホイール・ プリント・レシオと言ったりします。これを計算すると、車の大きさには関係なく、その長方形の形を比べることができます。で、より細長い形の方が直進安定性に優れている…と、これは自動車工学でも証明できるのですが、経験的に判断するのです。反対に、正方形に近いズングリした長方形ならハンドルを切った時の反応が良さそうだ…ということになります。
最終的な操縦安定性は、サスペンションの仕様や重量配分によって磨き上げられるのですが、その基本的な素性が、この計算で読み取れるのです。
余談ですが、旧来の日本車は世界の標準と比べると縦長なパッケージになっていました。いわゆる5ナンバー枠(排気量:2,000cc・全長:4,700mm・全幅:1,700mm)というのが原因でした。そのどれかを超えると3ナンバーになり、課税額(物品税・自動車税)が高くなっていたのです。
1989年に課税方式が変わってこの制約が解消されてからは、全幅だけが3ナンバー枠という車も珍しくなくなりました。日本車の操縦性改善の自由度を広げた、ひとつのエポックだと思います。
全高÷全幅の割り算でも、その車の走りの素性は分かります。マツダでは、ロード・ハギング・レシオと呼んでいました。「道をつかむ比率」という意味です。
より論理的には重心高÷トレッドですが、諸元表には重心高が記載されていないので全高で代用します。これはコーナリング時の荷重移動やロールに関するメカニズムに関係します。2つの車輪と重心位置でできる3角形をイメージすれば、どういう形がどういう性能につながるかは、容易に想像できると思います。
寸法関係では、その他に全長÷ホイールベースというのもあります。当然、ホイールベースの外にはみ出している部分が少ないほど、運転を楽しむには適した車と言えます。いずれにしても特殊な用途の車両以外ではある程度のバランスの範囲内に納まるのですが、これらの割り算の結果によって、その車の操縦安定性に関するDNAを、つまり動的感性工学的な素性を見抜くことができるのです。
重量についても同様です。エンジンの最大トルクや最高出力で割り算すれば、動力性能の目安が得られますが、感性性能的には前後輪にかかる重量の比率を計算します。この場合は、明確な理想値が存在します。4本のタイヤの性能をフルに引き出すためには50:50がベストです。この最適設計からどのくらい外れているかで、その車の設計者の意図や、結果としての動的感性性能が比較できるのです。で、その比率でホイールベースを割り算すれば、前後方向での重心位置も容易に分かります。カタログに説明がない場合には、この方法で試してみてください。もっとも、前後輪の荷重配分はほとんどのカタログには記載されていませんが、どういうわけか車検証には載っていますので調べてみてください。
車が持つ「もうひとつのカンセイ」について
私は、時に「車の(動的)感性性能」という言い方をしてきましたが、これはあくまでも便宜的な表現で、正確には「車が人間の感性に訴える性能」という意味です。何故なら、感性は人間の側の問題で、車が感性を持っているわけではないからです。ところが、この「カンセイ」という読みを「慣性」と漢字変換すると、事情は一変します。車を含めてすべての物体が慣性を有しているのです。外力が加わらない限り、「静止する物体は静止し続け、運動する物体は等速で運動し続ける。」という性質です。
で、その物体に外力を加えると、加速または減速し始めるのですが、直線運動における加速度は、与えられた力の大きさと、その物体の質量の割り算で決まります。物体の大きさには関係なく、質量が大きいほど加速度は小さくなります。なので、この「加速しにくさ」を「慣性質量」と言っています。厳密には異なりますが、皆さんが「重量」と感じているものと同じですし、車を運転する時の加減速の実感からも、ここまでは容易に理解できるでしょう。
問題は回転運動の慣性です。静止している物体を回転させようとした場合、その「回転しにくさ」は何によって決まるのでしょうか。今度は、質量が同じでも、その質量が回転軸から離れている距離によって、加速度が変わります。この「回転しにくさ」を「慣性モーメント」と言います。計算式は、質量×回転半径の2乗です。何故そうなるか…という入り口は、「てこの原理」とか「回転モーメント」などの言葉で大体イメージできると思いますが、詳しくはネットで検索してみてください。専門的な解説がごろごろ出てきます。
で、自動車工学でも、この「回転しにくさ」が問題になります。コーナーの入り口でステアリングを操作するような場合です。機敏に反応するか、頑固に直進しようとするか…。回転させようとする力は、タイヤのコーナリングパワーですから、その発生のメカニズムも重要ですが、その車固有のDNAとしての「回転しにくさ」つまり「慣性モーメント」の大きさが、ここでの感性性能のカギを握っているのです。
※クリックすると拡大画像が立ち上がります。 | |
車の回転運動と言えば、皆さんは、多分、一定の円周上の旋廻をイメージすると思います。前輪車軸の延長線が後輪車軸の延長線と交差する点を中心とした円運動の軌跡です。ですが、これは例えば地球が太陽の周りを公転しているような運動で、ここで問題としている回転運動ではありません。問題は、そのきっかけとなる車自身の自転運動です。ステアリングを切ることによってタイヤにコーナリングパワーが発生し、その力で車体が重心点を中心に自転し、その結果として車体の向きが変わり、公転が始まるのです。だから、問題は車自身の「自転のしにくさ」、つまり「慣性モーメント (この場合はヨー慣性モーメント) の大きさ」ということになります。で、皆さんの愛車の慣性モーメントは、どれくらいか。それは、どのようにして調べればいいか…実は、簡単な方法があります。
寸法×重量2の積分という難問の計算法
このゼミナールでは、以前(§4)にも、車の重心周りに発生する慣性モーメントについてお話ししました。ただし、それは開発者としての苦労話として触れただけですから、皆さんにはほとんど意味不明だったと思います。下記はその時に示した計算式です。
要するに、車の「各重量物の慣性モーメントを別々に計算してその総和を求める」という論理を、数式として示したものです。慣性モーメント=質量×重心からの距離²ですから、先ず個々の部品の質量と位置が問題となりますが、それは、すべての部品の諸元数値をインプットされた開発用のコンピューター以外で計算することは不可能です。
で、少し妥協して、パッケージングの基本的な枠組みだけを考えた近似式を用いることにします。エンジンやガソリンタンクやバッテリーの位置などを無視して、車の全質量がすべての点に均一の密度で分布していると考えるのです。このようにして物理式を簡略化すると、車の重心周りにX、Y、Zの3軸で発生するロール、ピッチ、ヨーの各運動の慣性モーメントI の計算式は、下記のようなシンプルなものになります。
これなら、諸元表を見ながら電卓でも計算 (→車種間の比較も)できると思います。もちろん、これは簡易な近似式で絶対値は正確ではありませんが、これまでの経験上、このように計算しても実測値とはあまりかけ離れていないことが分かっています。重量物を少しでも重心点の近くに配置することが重要だと、私は以前から力説してきましたので、何か矛盾するように思われるでしょうが、それはここから後のお話です。
慣性モーメントは、全体の重量と寸法でほぼ決まり、そこから先は、ほんのちょっとずつの努力の積み重ねだということです。その成果は、絶対値では大した数字にはならないけれど、その違いがドライバーの動的感性には重要だということに変わりはありません。その意味では、諸元表の数値だけを利用した簡易計算の値は、あくまでも「走りのDNA」を知るバロメーターだとお考えください。この段階で優れた数値を見せる車は、その後の設計でもさらに改善の努力を惜しまないでしょう。反対に、悪い数値を示す車がその後で微細な改善を積み重ねるとは考えられませんし、その効果も大きくは期待できないと思うのです。
今回は主にヨー慣性モーメントについてお話ししましたが、 ロールやピッチについても考え方は同じです。それらの最終的な感性性能は、単に慣性モーメントだけで決まるのではなく、それに対する入力側のメカニズム、例えばステアリング機構やサスペンションのレイアウト・仕様、タイヤ性能などとの関係で、より洗練されたり、逆にスポイルされたりもします。ですが、最初に申しあげたように、パッケージングはその車全体を支配する先天的なDNAですから、個別のコンポーネントの設計も、これに沿ったものになるのは当然です。ですから、パッケージングを知ることは、その車全体の動的感性性能を予測する上で、とても重要かつ意味のあることだと思います。
マツダの技術広報や広告コピーに「走りのDNA」という言葉が使われ、オートエクゼが「量産車のコンセプトの正常進化」と主張するのは、このような「車づくりの方向性」を整合させるという意味です。単なる精神論ではなく、イメージの問題ではなく、そのための技術的なバックグラウンドを大切にするということなのでしょう。広告コピーというのは、カタログを含めて、多くの場合、メーカーからの説明をもとに社外のコピーライターが想像力を駆使して書くのですが、技術屋としては時に違和感を持つこともありました。飾りの多い言葉に惑わされることなく、自分自身でその車の設計思想を見極めるために必要なのは何か?このように考えれば、自ずとカタログの見方も変わると思います。これからのチューニングを考える前に、またはいつか新しい車に乗り換える時に、ぜひ、諸元表の数字を分析して、そのDNAをひも解いてみてください。諸元数値は、誰よりも正直に、その車の資質を語っているのです。