チューニングを楽しむための動的感性工学概論 §8


人間の動的感性に訴える性能は何か?その目標設定の方向は?

理科系の人たちには退屈かも知れませんが、もう少しオリエンテーションを続けます。例えば、新幹線で600kmを2時間で移動するという運動を考えてみると、動的感性工学の輪郭がより明確になると思うのです。

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このケースで示されているのは「600km」と「2時間」という単純な数値だけですが、これを「移動」という言葉でつないだ時に、皆さんは瞬間的に割り算をして「300km/h」という運動をイメージするでしょう。つまり、2つの物理量を対比して「速度」という新しい概念を導き出しているのです。その結果、他の乗り物と速さを比較することができるようになります。この例題はあまりにも日常的過ぎて実感はないでしょうが、一般的な物理学でも、私たちの感性工学にとっても、様々な物理量の間に新しい関係を見つけ出す作業は、とても重要だと記憶しておいてください。
で、その作業をさらに進めてみます。この場合の300km/hという速度は、あくまでも平均速度であって、乗客の実感ではありません。

B360トラック

実際の新幹線は、常に300km/hで走っているのではなく、発車時からの加速、停車時の減速など、その速度は時間とともに変化しています。だから、新幹線の運動を動的感性工学という視点で突き詰めるには、もっと近寄って、もっと時間の升目を拡大して、その変化の詳細を観察する必要がありそうです。その目的は、「時間によって速度が変化する度合い」の発見です。では、そのためには、どうしたらよいのでしょうか?もう一度「時間」で割り算をします。それが「加速度」という新しい物理量です。単位は「km/h/h」でもよいのですが、より細かな変化を見るために、通常は秒単位で計算し「m/s2」と表記します。
ここで実際の性能曲線を見てみると、速度は緩やかなカーブを描いて上昇し、最高速を維持した後で、階段状に下降しています。この場合の速度の変化、つまり加速度の大きさは、どのように変化しているのでしょうか。厳密な数字でなくてもいいので、どんなカーブになるかイメージしてみてください。そして、それが乗客の動的感性にどのような影響を与えるかを考えてください。その上で、新幹線にとっての理想の加速度曲線を描いてみてください。どうなりますか?
もちろん、新幹線の運転士は「運転を楽しむ」立場にはありません。乗客を安全に輸送することが最大の使命であり、乗客は加速度を感じる事など期待していないでしょう。ですから、これはあくまでも新幹線のための動的感性であり、私たちの「運転を楽しむための」という立場とは、ずいぶんと違った結論になるはずです。しかし、考え方の基本は同じです。動的感性工学への入り口が、ここにあります。


時間の経過による運動の変化

前回の講義で、動的感性とは「動きの感じ方」と定義してもよいと申しあげましたが、ここまで来るともう少し厳密に考える必要がありそうです。
例えば、旋回時のロールについて考えると、コーナリング限界でのロール角度の大小だけでは、動的感性の検討には不十分です。定常円を定速で旋廻している時には、ロールは一定ですから、それなりのバランスを保つことになり、ロール角度の大小にかかわらず感性的には安定しています。問題は、むしろ、そこに至るまでの角速度や角加速度です。つまり、動的感性の対象は、単なる「動き」ではなく、時間の経過による「動きの変化」だと考えられるのです。

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そして、私の感覚では、人間の感性は、さらに繊細に「変化」の「変化」をすら感じているように思います。例えば加加速度(加速度を更に時間で割算することにより加速度の変化を求めたもの)です。これは、ちょっと面倒な表現になりますが、「速度が変化する度合い(加速度)」が、「時間によってどう変化するか」を示しています。
例えば、飛行機の離陸時には、徐々にエンジンの出力を上昇させ、滑走に入ります。そして、一定の加速度ではなく、さらに加速度を上げて離陸速度に達するまで、座席に身体がより強く押しつけられるのを感じます。つまり、加速度の変化(加加速度)を感じているわけです。ですから、動的感性の定義は、少し修正して「動きの変化の感じ方」くらいまで踏み込んだ方がいいかも知れません。
私たちの動的感性は、単なる物理量のみならず、その変化や変化のプロセスによって、揺り動かされていると思うのです。


変化をさらに「微分」することの意味

ここまでを要約すると、ドライバーの動的感性は、運動の変化を感じて評価しているのではないか。だから、時間や入力によって、その変化がどう変化するか…更なる微分が必要だということになります。ここでいう微分とは、単純に言えば割り算です。ちょっと専門的に説明すると、ある物理量を縦軸にとり、横軸に例えば時間をとった時の、定常ではない変化量のグラフ線の時点の接線の傾きを求めるものです。これで「運動の変化」が分かります。そして、この変化を縦軸にプロットし、横軸に時間をとってもう一度微分すると、少し取っ付き辛いかも知れませんが、これで「変化の変化」が見えてきます。実例をあげれば、下図のように縦軸に速度をとった場合の、ある時間での接線の傾きの度合い(微分した値)が加速度です。その加速度をさらに時間で微分した結果が、加加速度です。速度(距離/時間)のグラフと比べると、運動の変化のプロセスが、微分を重ねるごとに、より鮮明に見えてくるのがお分りいただけると思います。

微分グラフ

同様にして、ロールやヨーなどの回転運動を微分することもできます。要は、運動の変化をスローモーションのように拡大して、人間の感性に与える影響の因子を見極めるのが目的です。そこに、「人間の動的感性に訴える性能」が潜んでいるからです。


変化に対するドライバーの受容性と期待値

車は常に加減速と操舵を繰り返して動く物体です。ですから、常に動的変化を伴います。たとえ、高速道路を100km/hでクルージングしていても、そこには路面の凹凸や横風の影響などの外的要因による挙動変化、及び、車全体から感じる車速感といった動的感性への刺激が存在します。

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しかし、このような動的変化に対するドライバーの受容性という点では、多くの場合、ドライバーはある程度までは自然に受け入れることができているでしょう。ところが、動的変化が急激に、しかも大きく起こった場合、人間も生物として危険には敏感ですから、怖いと感じてしまいます。その受容性には必然的な限界があると言えます。外乱による変化でなく、運転操作に対応した挙動変化でも、基本的には同じです。
運転を楽しみたいというドライバーの場合には、自分の運転操作に対する車の動きへの積極的な期待値が存在すると言えます。「車は身体の拡大機能」であると定義しました。現代の車は、その開発技術が進み、大概の車は運転者の期待値にある程度は応えられていると言えかも知れません。しかし、「より積極的に車の運転を楽しむ」という目標を掲げた途端に、動的感性の受容性と期待値は、大きく先に進むことになるのです。
ですから、スポーツカーの開発では、一般の受容性を超えた車の挙動変化が、もちろん限界はありますが、一段と高いレベルで求められることになります。車側の反応がドライバーの期待値に一致していることが理想です。想定されるドライバーにとって、どのレベルがそのスイートスポットなのか。その正解を導きだすのが、動的感性工学における目標設定です。まさに「人馬一体」を突き詰めるのと同義語だと思います。


「過渡特性の最適化」という考え方

定常走行での絶対性能は、動的感性工学には、多分、あまり意味がないのではないかと考えます。問題は、運転者のアクセル、ブレーキ、ステアリング操作の結果として、車の挙動に現れる変化のプロセスです。特に、その変化のタイミングが重要です。その繋がりを「過渡特性」と言います。これがしっかりと味つけできていないと、運転が楽しいとか、嬉しいとかといった動的感性の充足は味わえないと思います。
ある領域では変化の度合いが一定で、よく言われる「リニアな特性」が求められます。そして、ドライバーが何かの変化を目指した時には、その運転操作に寄り添うように、絶妙なタイミングで、唐突感もなく、期待通りの動的変化を実現する。さらには、しかるべき安定状態へとスムーズに復帰する…。このような一連の繋がりがないと、動的感性としては十分な特性とは言えません。俗に言う「操安性」、つまり操縦性と安定性の融合は、このような過渡特性の総和だと思います。
受容性と期待値については既にお話しましたが、解りやすい事象で説明すると、いわゆる初期応答性です。ダル過ぎれば退屈というイメージになりますし、シャープすぎると受容性を超えて、恐怖感さえ感じてしまうでしょう。過渡特性が最適化されていないということです。これは、人間の感性による評価の領域ですから、自動車工学的にデータ化し、シミュレーションすることは難しいと思います。これを実際の運転による感性で評価し、その技術的改善を図るのが動的感性工学であり、チューニングの目標だと考えています。
言うまでもなく、車の挙動は単一のパーツの性能だけでは決まりません。むしろ基本的なパッケージングや、多くのコンポーネントの複合的な働きに左右されるのが一般的です。個々の部品の設計を突き詰めていっても、理想の動的感性性能を実現することはできません。動的感性工学の目標は、様々な運転状況における変化のプロセスを分析し、その要因を解明し、一連の変化の繋がりを、つまり過渡特性を、ドライバーの感性に合わせて整えて行くことなのです。



ここまでで、「動的感性工学」という考え方の概要はお分かりいただけたと思います。次回からは、その動的感性に影響する主要な物理量や、関係するメカニズムについて、個別かつ具体的に話を進めることにします。小難しい理屈の世界に入りますが、知っておいて損はないことですから、頑張ってお付き合いくださるようお願いします。

また、読者の皆さんには、性能が良いと言われている数多くの車に、できるだけ多様なシュチエーションで乗っていただきたいと思います。そうすれば、「この車のこの特性は良かった。あの車の安定性能は素晴らしい。」というような経験値が、記憶として脳内に取り込まれます。自身のドライビングスキルを上げる努力も欠かせません。車の動的感性性能を正しく評価するためには、ドライバー側の「受容性と期待値」を高めておく必要があるからです。理論と実技のコラボレーションこそが、皆さんのチューニングの最高の指針になると信じます。