チューニングを楽しむための動的感性工学概論 §4


真のスポーツカーであり続けるために。
3代目 RX-7のサスペンションに注いだもの。

初代RX-7は、国内のみならず、不振を極めるアメリカの販売網と、地に落ちたロータリーエンジンのイメージの再構築、石油ショックを発端とする経営危機からの回復にも貢献しました。2代目は本格的なスポーツカーを求める日米の市場ニーズにマッチし、確固たるスポーツカーとしての地位を築きました。そして3代目となるFD3S型のRX-7の開発に着手する頃には、社会情勢は大きく変化し、マツダはバブル経済の真只中、国内販売体制を5チャンネル化に着手しました。また3代目RX-7は、アンフィニチャンネルのフラッグシップカーとなる事が決定していましたので、初代、2代目とはその使命も大きく異なったものとなってくるだろうと感じていました。同時に円対ドルが急激に変化して、初代の頃$1=¥230だったものが$1=¥130まで高騰し、加えてアメリカではスポーツカーの保険の高騰が起きていました。
前回お話ししたように、初代のサスペンションを私が担当する事になった時、スポーツカーの仕事をトラックチーム内で引き受けました。この事は、RX-7にとっても私にとっても、ある意味幸運だったと思います。それは、乗用車のしがらみがないシンプルな設計開発環境の中で仕事が進められたからです。そして、厳しいスポーツカー要件と、質実剛健なトラック開発に多くの共通点があった事です。

3代目RX-7、その開発コンセプトは、超一級のスポーツカーを作り上げる事でした。私も設計者として、また、マツダの持てる最高の技術を注いで作ろうと考えていました。一級のスポーツカーである以上、当然スタイリングも、最も重要な要素になります。低いフェンダーとボンネット、その中で、如何にコンパクトで十分なストロークを持ったサスペンションを設計開発して行くか。

B360トラック3代目RX-7(FD3S)

過去のサスペンション開発を振り返り、初心に帰って構想を作り上げました。そのサスペンションに求められる本質は何か、思い描いたキーワードは、「軽く、素直、コンパクト、リニア」など技術や物理現象に忠実な言葉でした。

特に重要視したのは、軽量化についてでした。3代目はパワーウエイトレシオを5kg/ps以下に抑える事が車両全体の運動性能の目標であり、1,250kgに車両重量を抑える事が必達要件でしたので、徹底した軽量化を行いました。

B360トラックRX-7(FD3S)の構成部品

開発に際し、主要な開発者を伴いゼロ戦の残骸を見学しに行きましたが、当時の技術者の軽量化に対しての徹底した拘り、技術力に驚愕した事を覚えています。

車両重量を1,250kgに抑える事を目標に、部品のぜい肉をゼロにする事と、ゼロ戦の軽量化になぞらえてZERO作戦と銘打った徹底的な軽量化を、開発期間中に6回も行いました。2代目よりも軽量にするために各セクションに軽量化目標を設定し、まずは構想段階でどの程度の軽量化が可能かを議論し、次の段階では各部品の図面を壁に貼りだし、皆で赤ペンを持って無駄な部分はないか、軽量化の穴あけの余地はないかを図面に書き込んでいくのです。

B360トラックRX-7(FD3S)の透視図

更には、ポルシェや他社のスポーツカーの部品をバラバラに分解(ティアーダウン)して、その中で最も軽い部品を手本に、より軽量化できないかを検討して行くのです。担当設計者は、一番良いと考えて作図してきた部品ですから、他の部署の設計者から赤ペンで修正されるのは心外です。しかし、そこは参加者全員で議論、検討し、軽量化の解決策を見出して行きました。
このように2代目の重量の-15%を目標としたZERO作戦は、窓ガラスの板厚、部品類の取付けブラケットの共用化に至るまで、無駄なぜい肉の削減に取り組みました。

また車両重量に関しては、エクステリアデザインも重要な要素となってきます。チーフデザイナーより、あと20mmデザイン上で、フロントフェンダーのラインを下げたいとの要求が出てきました。これにより20mm分のフェンダーのスティールの重量を節約できますので、車両重量としては歓迎すべき事なのですが、今度は、サスペンションの設計上のレイアウトが、非常に厳しくなる事となります。よって、フェンダー内部の構造をこれまでの習慣にとらわれることなく見直して、更にスティール部品の削減も行いました。
ここで、これまでにも頻繁に登場したのですが、車両重量が如何に車の動的感性性能にとって重要かを考えてみましょう。

物体の運動方程式は、“F=mα” (:力、:質量、α:加速度)で示す事が出来ます。車の加速する、曲がる、止まるなどの全ての車の状態に対して、質量が深く関わってきます。たとえば、質量が大きな値になれば、速度を出すための出力は大きな値になり、よりエンジンに要求される力は、大きなものとなってしまいます。同様に止まる場合のブレーキ力は、質量が大きい場合は、より多くのブレーキ力が必要となる訳です。逆な言い方をすれば、力が同じなら、質量が小さいほど加速度αが大きくなるというということです。そして、この加速度こそが、ドライバーの感性に訴えるインターフェイスであり、まさに動的感性工学の肝がここにあるとも言えましょう。
そこで、車の運動力学について、もう少し詳しく見てみたいと思います。車の運動は単に前後・左右・上下だけではありません。(図1)のように車にはX,Y,Zの3軸まわりの運動があり、これらの回転系の運動と合わせて6自由度と定義されます。そして、車の運動は必ず重心(CG)まわりに発生します。
次に、それぞれの運動方程式(図2)を見てみましょう。皆さんは自動車技術者ではありませんから、厳密に理解する必要はありませんが、回転系の運動では、力はモーメント、加速度は角加速度、質量に相当するものは慣性モーメントと、それぞれ別な呼び方になっていることに注目しておいてください。直線的な運動とは違って少しややこしいのですが、基本は同じです。
回転させる力は、回転の抵抗になるものと、回転の加速度の掛け算だということです。「てこの原理」を思い出していただければイメージしやすいかも知れません。結果、回転モーメントが同じなら、角加速度は慣性モーメントが小さいほど大きくなる…という理屈です。
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図:自動車の運動
図1 自動車の運動

図2 自動車を剛体と考えた時の運動方程式
   
続いて、運転を楽しむという意味では最も関係が深い「曲がる性能」に着目して、もう少し詳しくお話しを進めます。Z軸まわりの (ヨー角方向の) 回転運動、車の進行方向を変える力についてです。ステアリング操作に対して車の進行方向の変化する速さ(角加速度)は、先の運動方程式に当てはめて考えれば、「ヨー慣性モーメントが小さいほど、またはタイヤからの入力が大きいほど速くなる 」のです。車が方向を変える速さのコントロールは動的感性工学的に極めて重要ですから、もう少し頑張って、そのヨー慣性モーメントの計算にチャレンジしてみましょう。以下にヨー角方向の運動方程式を示します。車両全体を扱う前に、前後のバンパーとエンジンに焦点を当てて話を進めます。
ヨー角図
まず、タイヤからの入力の計算です。ここでは4輪のモーメントを計算し合計を出します。これが大きくなれば、それに比例して車は曲がりやすくなるのです。これは主にタイヤの性能と舵角、車速などで決まってきます。次に、ヨー慣性モーメントの計算です。とっつきにくい数式ですが、要は、車を輪切りにして、それぞれの慣性モーメントを計算し、それを合計するという意味です。
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図3 タイヤの力によるモーメント方程式
ヨー慣性計算
図4 ヨー慣性モーメントの計算式
このように、慣性モーメントは、そのユニットが持ってる慣性モーメントと部品の質量mと重心点からの距離Lの2乗の和によって決まり、車両全体のヨー慣性モーメントIzは、その各部品の総和Σとなる事を上式で示しています。先に挙げた基本的な運度方程式と比べて複雑になっているのは、各ユニットが点ではなく、それぞれに大きさと質量があり、自分自身の重心まわりに固有の慣性モーメントを持っているからです。これを「平行軸の定理」と言います。よって、ヨー慣性モーメントを低く抑えるには、車両重量と重量物の重心からの距離が重要な要素となる訳です。要するに、車を意のままに操るためには、車両全体の重量を軽くするだけでなく、車両の重心点に近い所に質量を集中させることが感性工学的には望ましいということです。少し話が硬くなりましたが、お判り頂けましたでしょうか?

ここで、3代目のサスペンション開発についてお話させて頂きます。このサスペンションの構造の大きな特徴は2点です。1.基本形式は、ダブル・ウィッシュボーンとする事。2.アームのピボットに滑りブッシュ、ピロボールブッシュを採用する事です。ロードスターの回にお話ししましたが、ダブル・ウィッシュボーンのサスペンションは、上下ストローク、左右旋回横力、前後制動駆動力の様々な入力、変位に対して最適なジオメトリーコントロールを行うのに最も自由度が高く、かつ軽量、高剛性を有していると言えます。

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フロントサスペンション図 フロントサスペンション リアサスペンション図 リアサスペンション
フロントサスペンション リアサスペンション

3代目では、特にキャンバーとトーを最適にコントロールする事に注力しました。
キャンバーコントロールに於いては、操縦安定性の向上を狙って225/50R16という超扁平幅広タイヤを採用しましたので、タイヤの縦バネ定数がアップします。よって、タイヤの接地面積を十分に確保しつつ、接地面圧を均等にするために、キャンバーコントロールが一層重要になります。この点については上下のアームを不等長にする事により、最適なバンプキャンバー変化を実現しました。

B360トラックFrサスペンション トーコントロールの作動原理

また、ピュアスポーツカーらしい旋回時の優れた運動性能を得るために、弱アンダーステアーを狙いました。旋回時にフロントサスペンションのジオメトリー制御をトーアウトに振って行く事により、狙い通りの弱アンダー特性を実現しています。

旋回時の横力は、タイヤの接地中心点ニューマチック分(接地面中心と荷重中心との差)の距離の後方で発生します。この入力点に対してキングピン軸を前方に設定する事により、トーアウトを発生させています。また、ロールステアに於いてもトーアウトを作りだしました。一方、横力に対してはサスペンションの取付け部の剛性配分によってトーインを発生させ、トーアウト量を緩和しています。

※図をクリックすると、拡大画像が立ち上がります。B360トラックサスペンションの球面体理論(車種カタログ)

また、このサスペンションには球面体理論を採用しています。詳しくは、当時の車種カタログに記載していますので、そちらを参考にして頂きたいと思います。
もう一つの大きな特徴、滑りブッシュとピロボールの採用についてご説明します。サスペンションの剛性を高くするためには、サスペンションアーム及びリンクの支点に使用するブッシュの軸直角方向のバネ定数を高くする事が必要となります。一方、ブッシュの作動ねじり角と信頼性を確保するためには、ブッシュのラバーボリュームを多く取る必要があります。


※図をクリックすると、拡大画像が立ち上がります。B360トラックすべりブッシュ、ピロボールブッシュの内部構造

このため、軸直角方向のバネ定数をある一定以上は高く取れない(サスペンションの剛性が低くなってしまう)事となりますが、この滑りブッシュとピロボールを採用する事により、ブッシュの作動ねじり角に関係なく、軸直角バネ定数を操縦安定性能に最適値に設定できました。 以上のように、RX-7には、サスペンションの全てに滑りブッシュやピロボールを採用するなど、日本初の技術などを織り込んで育成を重ねてきました。私は1992年に前任の小早川さんより主査を引き継ぎ、2002年までの9年間も携わってきましたが、このように永きに亘って1つの車種の主査を担当するというのは異例の事といえます。自分自身の持てる全ての技術を注ぎ込んで、真のピュアベストスポーツカーとして開発育成が行えた事は、とても幸せなことであったと考えています。

マツダのスポーツカーの具現化要件として頑なに守ってきた重量配分の良さ、重心高の低さ、慣性モーメントの低さなどは、全て操縦安定性の素性の良さを決定する要素となります。素性の良さを生かすのがサスペンションであり、そのためには基本に忠実な技術開発(軽いこと、剛いこと、小さいこと)を地道に行う事と確信しています。技術者として、3代にわたるRX-7の開発経緯を振り返って言える事は、「車を運転するのは人」であり、まだまだ現代の理論では語れない、深い領域、つまりは動的感性工学の領域があるということでしょうか。

次回は、NCEC型ロードスターの開発について、お話させて頂きます。