チューニングを楽しむための動的感性工学概論 §1


スポーツトラックで「操縦性」と出会った。
そして、パッケージングの重要性を教えてくれた初代RX-7へ。

大学での私の講義は、将来の自動車技術者の育成が目的ですから、かなり専門的で実務的なものです。それはそれで良いのですが、一方では、実際のユーザーとして日常のドライブを楽しんでいらっしゃる方のためには、もう少し気楽に、基本的または原理的なことだけをイメージできるようなアプローチも必要なのではないかと思います。自動車の機械的な成り立ちを理解することで、より深く自動車を愛していただけるのではないか、そしてより自分らしい自動車を創り出すためのチューニングのヒントになるのではないか。それが、このサイトにおける私の講義の狙いです。

B360トラックB360トラック

で、「動的感性工学」の具体的な話に入る前に、私がマツダへ入社してから、どのような車と、どう関わってきたのか。そして、どのようにして動的感性工学(一般的に言えば操縦安定性能の一部)の研究にたどり着いたのか、何回かに分けてお話ししてみたいと思います。それらの中から、より楽しく車を運転するための技術的なポイントを感じ取っていただければ…と思います。
入社してすぐに、シャーシ開発の解析グループに配属されて、B360という軽トラックのリアサスペンションのリーフスプリングの振動解析のアシスト業務をやりました。
R360という軽乗用車のトラック版です。その時の上司は、後に初代FFファミリアの主査を務められた方で、技術者としての私を鍛えて下さいました。

プロシードトラックプロシード・スポーツトラック
例えば、振動解析の問題を渡されて、運動方程式を立てて解いて来いとか。「お前は小学校からやり直しだ」なんて言われながら、微分積分を一生懸命やったりしました。
そのうちに、タイタンの前身Eトラックのマイナーチェンジをすることになり、解析グループからトラックグループに移動。設計業務に携わって、リーフスプリングとアクスルを止めているU―ボルトの緩みの対策などを担当しました。その後、いろんな商用車の設計をやりました。その中に、米国向けにロータリーエンジンを搭載したプロシード・スポーツトラックがありました。
トラックと言ってもロータリーエンジンを搭載しているのですから、180km/hもの速度が出るのです。

RX-7SA22C初代RX-7(SA22C)
この車両の高速での操縦性能をどう安定させるかが課題となり、サスペンションのセッティングやリーフスプリングの取付けをどうすれば良いか勉強しました。
これが、私のいわゆる「スポーツ」との最初の関わりでした。

その後、ロータリーエンジンの活用について議論がなされ、やはりスポーツカーにこそ相応しいだろうという結論になりました。そして、あのリトラクタブル・ヘッドライトの初代RX-7の開発となったのです。しかし、まだその当時は、石油ショック後で、スポーツカーなんて、世の中の雰囲気ではないのです。スポーツカーで、しかも、リトラクタブル・ヘッドライトなど、運輸省の認可が取れるかどうか会社全体が不安を持っていました。通常、運輸省の認可を受けるのは、生産開始の6ヵ月ほど前に行うのです。そこで、リトラクタブル・ヘッドライトの認可が下りなかった場合を考慮して、固定ライトのデザインと2種類を用意して、審査に臨みました。
そうしたら、運輸省のお役人にもスポーツカーが好きな人もいて、逆に認可をとるために、色々とアドバイスや、リトラクタブル・ヘッドライトにする利点などを熱心に質問してくれるのです。
空気抵抗を3%下げると燃費も良くなるとか、そんな理由書をたくさんつけて認可を取りました。後々他から問題を指摘されないように、お役人もそれなりに協力的に対応してくれた訳です。

貴島1

余談ですが、RX-7の開発を始めるときに、乗用車グループから、スポーツトラックをやっていた貴島に来てもらいたいと要望が来ました。そうしたら、その時の私の上司が「貴島をトラックグループから、出すわけにはいかん」と言ってくれたのです。東大出のエリートの優秀な上司でしたから、何か考えがあったのだと思います。「もし、貴島にスポーツカーをやらせたいならトラックグループでスポーツカーをやる」と言い張ったのです。部内で協議の結果、トラックグループの中にスポーツカーを取込むことになり、結果、RX-7の初代からずっとトラックグループ内でスポーツカーの設計をやることになりました。乗用車グループとしては面白くなかったと思いますが、私にとっては、その後の技術者人生をスポーツカーに向かわせる大きなポイントになったのです。初代RX-7のSA22C型は、フロントサスペンションはストラットタイプ、リアサスペンションはリジットタイプでした。当時、独立懸架のセミトレーリングアーム式とかの選択肢はあったのですが、いち早く量産に漕ぎつけたかったために、新しい技術とかでトラブルやリスクを抱えたくなかったのです。そこで、リジットのリアサスペンションを採用しました。しかしながら、結果的にはリジットを選択したことは正解でした。ただの4リンク+ラテラルロッドでは、芸が無くてリアアクスルが弧を描くように動くのでジオメトリの変化が大きすぎる。これをただ垂直のみに上下させたかったのです。


そこでワットリンク(蒸気機関を発明したジェームス・ワットが開発)の採用を検討したのです。設計当初は、機構上でベストである、デフケースの真後ろの中心に取付けました。ところが、後部衝突時に燃料タンクを突き破る可能性があり、設計変更してアクスルケーシングの前側に取付けることとしたのです。ここには、デフキャリアやプロペラシャフトがあるため中心からずらさないといけない、そうすると真直ぐに上下動ではなく、多少S字を描くことになるのです。おまけにトーアウトのジオメトリになるのでブッシュの硬度を高くしなければなりません。アクスルの前に付けたため、ワットリンクを含め、トレリーングリンク全体のブッシュを更に硬くしなければならず、組付けに苦労をしました。

図のように、コーナリング時、車体に加わる遠心力により、タイヤに横力が発生し、ワットリンクを介してシャーシに伝えられる。このワットリンクに加わる横力はリアアクスルに対しトーアウトモーメントを誘発する。このトーアウトモーメントはワットリンクがアクスル前方にあることが要因である。従って好ましくないトーアウト量を小さくするためにはリンク全体のブッシュばね定数を高くすることが肝要になる。
※画像をクリックすると拡大画像が立ち上がります。
ワットリンク
ワットリンク式リアサスペンション
  作動図
ワットリンク作動図(概念図)

そして、試作を作って工場に持ち込んだら、「こんなもん組めるか」と言われてしまいました。それはそうなのです、ピッチリと左右方向を決める部品ですから、ワットリンクを組んだ途端に動かなくなって、次の取付けが出来ません。そこで、アクスルケーシング側の取付けポイントをテーパー状にして、多少位置がずれていても締め込めば、センターにきちんと取付けられるように工夫しました。ワットリンク自体は、特に新しい機構では無かったのですが、当時、リアアクスルに採用したのは初代RX-7だけでした。

貴島2

初代RX-7は大ヒットしたのですが、商品化前にはこんなエピソードもありました。試作車1号車を経営陣の新商品会議に展示することが決まっていたのですが、会議前日に、ある上司が、宇品のテストコースで試乗しました。
初代RX-7は走りを楽しむためにニュートラルステアーでシャープに作ってあったので、素人が高速で急激な車線変更をすると扱いきれません。だから、高速でギューッとスピンしてガードレールに衝突。翌日の新商品会議までに修復しなければならず、徹夜で作業しました。

そして、この初代RX-7からモータースポーツにも関与するようになりました。米国のIMSAのGT-Uのデイトナ・レースカーも私がサスペンションの設計をやりました。サスペンションのピポットをどこまで変更できるかレギュレーションを調べて、リアのシートをぶち抜いたところまで、平行リンクに設計しました。これは、24時間走り切って、クラス優勝を勝ち取ることが出来ました。総合でも良い順位につけていたと記憶しています。私自身初めての本格的なレーシングカーでしたので、宇品の港まで船積みを見送りました。その後の米国でのRX-7のGTレースの活躍は、皆さんもご存知の事と思います。

また、当時、欧州ではアクロポリスラリーをやっていました。これは悪路のスペシャルステージが有名なラリーで、過酷な条件ゆえアクスルが曲がってしまうトラブルが頻発していました。スペシャルステージを走行後、次のステージまでに、アクスルをアッセンブリーで交換しなければならならない状態だったのです。そのような状況で、アクロポリスへ見て来てほしいと言われ、どんな荷重が入るか解らないままに、取りあえず行って見ました。そして現地でハードな山道を実際に走ってみると、1m位飛び上がるのです。計算してみたら、10G以上は掛かっている。これは量産では、もつ訳がないと思い、帰国後ケーシング下側にV字型に補強ステフナーを入れた部品を送ったところ、壊れなくなったと感謝されました。アウディクワトロ、プジョー205、ランチアとか独立懸架の競合を相手に、アクロポリスラリーで3位に入賞することができたのです。

さて、初代RX-7は、開発の初期段階で、ニュルブルクリンクでポール・フレールさんに乗ってもらいました。ところが彼から、降りてくるなり「Too Nervous」と怒られました。「こんな敏感な車は、欧州では走れない」と言われたのです。フロントミッドシップの前後重量は50.7:49.3の配分で、機敏に動くようシャープな感性のサス・セッティングにしてありました。ですから、ポルシェみたいにどっしりとした感じとは違っていたのです。良くも悪くも「Tail Happy」な車でした。

designed初代RX-7のカタログ

初代RX-7は、結局は、すべてをロータリーエンジンに依存した車だったと言えるかも知れません。この車にとって、エンジンは単なる動力装置ではありませんでした。発売当初のカタログには、誇らしげに”Designed by Rotary”と謳いあげられています。パワーに比してコンパクトという特徴を生かして前車軸後方に搭載されたエンジンの位置が、それによってもたらされた基本的なパッケージングが、ヨー慣性モーメントを極小に抑えることを可能とし、意のままに車を操ることの愉しさを、私たちに教えてくれたのです。
まさしく感性を刺激するマシーンでした。しかし逆に言えば、例えばサスペンションなどエンジン以外のコンポーネントが、あまりにもコンベンショナルに過ぎたのかも知れません。

やがてターボチャージャーがついて、パワーも上がってきたので、安定方向のバンプアンダーな方向にセッティングして行きました。しかし、試乗会では苦労をしました。ジャーナリストでも上手いドライバーばかりではないですから、何台もぶつけられました。それで、もっと操縦性能を上げてゆく必要性に駆られて、2代目のRX-7へと繋がって行くのですが、それは、一言でいえば「ロータリーエンジンに負けない足回り」の開発がテーマでした。次回は、そのパッケージングや4輪の独立懸架サスペンション、最大の特徴とされたリアハブのトーコントロールなどについてお話ししたいと思います。