REサウンドは復活したけれど・・・
5周/ミッショントラブルでリタイア
RE(ロータリーエンジン)での「ル・マン」再挑戦を期待するファンは多い。世界でマツダだけが実用化に成功し、さらに日本製のエンジンでは初めて「ル・マン」を制覇したのだから、当然である。

だが、冷静に、かつ合理的に考えれば、そのハードルはきわめて高い。先ず機械としてのREは、必ずしもレース車両にフィットしたものではない。回転するピストンと往復するピストンとの違いは、そのスムーズさや回転域の広さに求めることができる。しかし、レース専用となれば、レシプロエンジンの回転範囲は飛躍的に高まる。それに伴って、軽量コンパクトというメリットも、出力比でみれば霧消する。また、トランスミッションやラジエターなどにも汎用品が使えず、シャシーとのマッチングには専用設計が必要になるのだ。
さらに、少数派ゆえに専門のチューナーが少なく、レギュレーション面でも不利な規制を受けることがある。それらを解決しようとすれば、莫大な労力と資力が必要になるのは当然だ。
1991年の成果は、REの唯一のメーカーとして、マツダが何年間も全力を投入し続けた結果だったのである。

それらのハンディキャップをすべて承知の上で、「もう一度、REを走らせたい!」という思いは、3人のプライベーターが力をあわせることで実現した。エンジンを提供したのは、アトランタのJ.ダウニング。レシプロエンジン用のシャシーをRE用に改造したのは、フランスのG.ヴェルテール。二人の盟友をコンバインしつつ、スポンサー獲得などのマネージメントを担当したのは、もちろん寺田だった。

そして、マシンは出来上がった。実際に、「ル・マン」を走った。…結果は、惨敗であった。
2002年のリポートは短い。男たちの「夢の痕」は、わずか5周である。

参加車両概要