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チューニングを楽しむための動的感性工学概論 §7


動的感性工学とは何か? チューニングの目的とは何か? その基本の再確認。

本年もよろしくお願いいたします。昨年は、自己紹介を兼ねて、私自身が自動車メーカーの中で取り組んだ開発の実際についてお話してきました。いわば「実技」としての動的感性工学です。どんなことが問題で、それをどんな風に解決したかということです。量産車の開発では複雑な要素が絡んできますから、少し話が見えにくかったかも知れませんが、大体の様子はお分かりいただけたと思います。

ここからは動的感性工学の本論に具体的に入っていきますが、個別の技術論の前に、改めて「動的感性工学とは何か?」という基本的な視点を整理しておきたいと思います。
「動的感性工学」などと言うとえらく難しそうですが、普通の言葉で表現すれば「自動車の運転を楽しむための工夫」くらいでもよいのかもしれません。要は、自動車の性能を「運転を楽しむ」という視点から考えようということです。それも、「より積極的に楽しみたいと思う」人々の立場に立って、そのためには何をどうすればいいかと、その実現手段を模索する開発現場の学問です。ですから、その意味では、自分の車を自分流にチューニングしようとしている皆さんは、既にこの研究の入り口に立っているとも言えます。

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ですが、ここまで言った瞬間に、実は「自動車の性能」は、様々な立場によって評価の基準が異なることに気づくはずです。例えば「燃費」は、環境とか資源とか家計を重視する人たちには最も優先されるべき性能です。高齢者とかVIPには、「乗り心地」が第一かも知れません。ファミリーカーなら「経済性とかファッション性」、営業車なら「信頼性・耐久性」、もちろん「安全第一」という立場もあろうかと思います。それぞれの人の考え方によって、重視する性能が違うことは容易に想定できるのです。
それはそれで良いのですが、要するに、「立場」または「価値観」、つまり大げさに言えば「生き方」によって違うのは当然なのですが、そういう前提を認めた上で、尚も「運転の楽しみ」を高めようと、そういう立場を貫こうと、そのための方法を考えようとするのが、私たちの基本姿勢です。
車は身体機能の拡大装置とも言われます、体の延長線にあるものだと考えると骨にも筋肉にも神経にも相当する部分です。意のままに動くことは何よりも大事です、意にそぐわない動きは命にかかわるかも知れません。したがって、自分の体を楽しく動かせたいと思うのは自然な欲求だと思います。
では、具体的には何が問題でしょうか。その対象が「動的感性」だと言うのが本ゼミのテーマです。「動的」とは、単純に言えば「動き」です。「感性」とは、平たく言えば「感覚」でも良いのです。ですから「動きの感覚」でも良いのです。車を運転するときの「動きの感覚」が、ドライバーにとって「楽しいか否か」。それを基本として、具体的な自動車の挙動から部品レベルの設計までを、評価し直してみようというのです。


絶対性能と感性性能

私たちの興味の対象は「感性に訴える性能」、つまり「感性性能」と言い換えることができます。逆に言えば「感性に無縁な性能」はどうでもいいと、極端に言えばそういうことです。例えば、「最高速度」とか「コーナリング限界」などは、基本的には設計上の計算値であって、つまり、感性の違いとは別の自動車としての「絶対性能」であって、それ自体が「感性に訴える性能」ではないということ。別の言い方をすれば、自動車工学的には意味のある性能も、感性工学的にはどうでもいい場合があるのです。

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さらに重要なのは、感性は人によって先天的または後天的に違いがあり、その性能を絶対的な尺度で評価することはできないということ。ある人の感性にはプラスに訴える性能が、別の人にはマイナスに作用する場合があります。極端な例を挙げれば、ジェットコースターの動きなど。好きな人と嫌いな人とで評価が天と地ほどに分かれることは容易にイメージできるはずです。ですから、「感性性能」を評価する場合には、評価者の立場を前提する必要があります。
先に挙げた例に照らせば、燃費や耐久性などは「絶対性能」に近いと言えます。それを重視するか否かは別ですが、その良否の判断が人によって逆転することはないと考えます。ですから、単純に数字で結論が出せます。ところが、例えば発進加速はどうでしょうか。数値としては優れた加速性能も、恐怖感を与えるとして否定される場合があります。制動力も同様です。
ステアリングの敏感さも同様です。排気音となればさらに微妙です。絶対性能的に静粛性を好む人もいれば、音質にこだわる人や、加速に伴う音量の変化を期待する人もいるだろうと思います。乗り心地も、硬軟の好みなどで評価が分かれる…などなど、感性性能の評価は、誰にとっての性能かを特定しないと成立しません。冒頭で、動的感性工学が「より積極的に運転を楽しみたいと思う人々の立場」をベースにすると言ったのは、このような背景によるものです。


静的感性と動的感性

本格的に動的感性工学を論じるには、もう一つ前提条件を明確にしておかなければなりません。「感性に訴える性能」を広い意味で解釈すれば、デザインとか触感とか、それらから生まれるイメージとか、自動車には多様な感性性能が盛り込まれているのです。そして、これらのあえて区別する意味で言えば「静的な感性性能」が、車にとって、そのオーナーにとって、重要な価値であることは言うまでもありません。車は、必ずしも動的な側面だけで成立しているのではなく、人を包む空間あるいは表皮としての存在でもあるのですから。

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このような静的感性性能も、当然、人によって価値判断が異なるので、絶対性能ではありません。ですから、場合によっては、車とドライバーの間の関係にとどまることなく、もっと広い空間、つまり社会的な空間との関係にまで影響するとも言えると思います。存在としての車は、単に「ドライバーの感性に訴える性能」を超えて、「周囲のコミュニティの感性に、ドライバーの人格を訴える性能」とすら成り得るのです。
家や家具、着る物や持ち物など、我々の周辺のすべてのものと同じかそれ以上に、「車は人を語る」のです。ですから、動的感性工学は静的感性工学を否定するものではありません。
立場の問題としては様々な選択の可能性があるものの、自動車を愛するという意味では、単なる自動車工学の枠を超えるという意味では、むしろ同志であり、並び立つことのできる性能と考えます。そうでないと、「動的感性工学」は、独善の誹りを免れないだろうと思います。


量産設計の感性ターゲットとチューニングの意味

では、自動車メーカーで量産される車は、どのような立場・価値観・感性の人を想定して設計されているのでしょうか。言うまでもなく、コストとか利益を考えれば、できるだけ幅広い層に対応できる車が有利と思われます。

以前からの「人間工学」では、身長や座高、腕や足の長さなどの分布を基に、より多くの「人間」に対応する努力をしてきました。今で言う「ユニバーサルデザイン」も同じで、理想は100%です。そういう意味では、特に運転席まわりの設計はシビアで、「日本人女性のXXパーセント」とか「アメリカ人男性のYYパーセント」などという数字で、そのカバー率が評価されます。量産車の自動車工学として、それは正しい手法です。そうでなければ、運転を楽しむどころか、安全に運転することもできない人が発生してしまうのですから、それは、多少の妥協はあるとしても、「個への最適化」を目指していると言えなくもないと思います。
しかし、感性工学という面で見ると、事情は一変します。前に述べたように、人間の感性は体格と同じく多様となっています。だから、量産を前提にすれば、100%の感性を満足させるのが理想です。で、それが可能か否かということになります。

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体格と感性が決定的に違うのは、その実態を数値化できないということです。体格の違いは様々な統計データがありますし、場合によっては実測可能ですから、設計値のカバー率は容易に計算できます。ですが、例えば発進加速に対する人間の感性の受容性などと言うデータは、宇宙ロケット用とかの特殊なものを除いては、おそらく存在しないし実測もできないでしょう。ですから、すべての人の感性を満足させる設計など、基本的にできないのです。
従って、自動車メーカーによる動的感性性能の目標値は、多くの場合、世間相場との関係で設定されています。マーケティング的なコンセプト(市場の顧客イメージや競合車の性能に対するセールスポイントの設定など)と、自社で実現可能な技術水準によって、「まぁこのぐらい」と言う感じで決められるのです。
当然、量産が前提なので価格・コストと言う制約もあります。ですから、よほど挑戦的なマーケティング戦略がなければ、量産車の設計では、どうしても最大公約数的な、平均的で無難なターゲットが設定されることになります。車種やグレード、さらにはオプションによる性能差はあるにしても、一方ではフールプルーフや信頼性という縛りもありますから、基本的には安全側にマージンを取る必要もあります。
スポーツカーのようにターゲットの幅を狭められる場合なら、その自由度は一般の乗用車の比ではありません。多くの場合、開発者自身が顧客の一人でもあり得るので、自分自身をターゲットとして考えることができるからです。つまり、自分が乗りたいと思うような、お客様の期待値を超えるような感性性能を、自分の感性を基準に造り込むことができるのです。しかし、範囲は狭まったといっても、量産車の原則はその範囲内で生き残ります。それは避けられない宿命です。
感性性能は100%のドライバーをカバーすることはできません。にもかかわらず、量産設計は限りなく100%を志向しなければならず、この矛盾を解決して、感性は個に依存するという原則に沿って「個への最適化」を実現する唯一の方法、それがチューニングだと…そういう位置づけだと思います。


「感性チューニング」という考え方

もちろん、No.登録をした車では、基本設計そのものを変更することはできませんし、メーカーの開発チームのように様々な試行錯誤を繰り返すこともできません。ですから絶対性能を対象としたチューニングは、そもそも不可能であり、危険であり、違法にもなりかねません。公道上での使用を前提すれば、必然的に、それは感性面でのチューニングに限定されると考えられます。あくまでもレディメードを前提に、部分的に手を入れて、自分自身の感性にフィットさせるというのがチューニングの基本なのです。

しかし、それとても、容易なことではありません。そもそも自分自身の感性や運転技術を確認するのも難しいことですから、本当に「自分自身への最適化」が可能かどうかは、どうしても結果論になってしまいます。多くの授業料を払ってから、やはり「純正が一番」との悟りに達した人も多いと思います。つまり、チューナーの感性と自分の感性の重なり具合を事前にチェックできていない場合が多いのです。
しかし、世は情報化時代ですから、少なくともチューナーの目指した感性性能を事前に知ることはできます。そして、イメージレベルでなら、その相性を予測することはできるでしょう。なまじっかな性能緒元よりも、チューニングに関するチューナーの考え方が、自分の感性に近いか否か、その判断を大切にすることが必要だと思います。

繰り返せば、感性とは、「立場」または「価値観」、つまり大げさに言えば「生き方」によって違うのは当然だからです。